ビートルズは不良?数々の悪行やブッチャーカバー騒動、パクリ等まとめ

ビートルズは不良?数々の悪行やブッチャーカバー騒動、パクリ等まとめ

演奏が終わると深々と頭を下げる品行方正なアイドルとして扱われたビートルズ。

しかし、彼等は様々な場面で悪行を働いており、不良エピソードもあります。

いかに彼等が傲慢でコンプライアンス意識が低いグループだったか、愛情を持ってまとめてみました。

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目次

ビートルズの不良エピソード1:スタジオ使用時間を無視

スタジオ使用は22時までなのに

ビートルズがレコーディングに使っていたアビー・ロード・スタジオには様々なルールがありました。

スタジオのエコー・ルームから外部に音が漏れるため、近隣住民への配慮を理由にスタジオの使用時間は、10時から13時までが午前の部、14時30分から17時30分までが午後の部、19時から22時までが夜の部でそれぞれ3時間に決められていて、時間延長は原則認められていませんでした。

しかし、デビュー・アルバム“Please Please Me”のレコーディングが22時45分までかかってしまったので、早速ルールを破ってしまっています。

使用時間を45分オーバーしてしまいましたが、この件については初のアルバム・レコーディングだったビートルズだけが悪いとは言えず、無理なスケジュールを組んだジョージ・マーティンやスタジオ・スタッフにも責任があるでしょう。

自分達がルール

その後、レコーディングは日程を分けて行われたので、当面の間はルール違反が少なかったと思われます。

しかし、1965年のアルバム“Rubber Soul”の頃になると、ビートルズは世界的なスターになっており、スタジオをいつでも使えるようになりました。先輩のミュージシャンですらスタジオを明け渡すことがあったそうです。

もちろんスタジオの使用時間も無視して、14時30分にスタジオ入りするとそのまま深夜までレコーディングすることが珍しくなくなったそうです。

それが“Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band”のレコーディングになると、夜にスタジオ入りして翌日の正午まで作業を続けるようになったとか。

音漏れはさほどではなかったのかもしれませんが、夜中に外が騒がしいと近隣の住民達も迷惑だったのではないでしょうか?

仕事熱心なのはいいですが、ルールを破って他人に迷惑を掛けてはいけませんね。

ビートルズの不良エピソード2:スタジオ内のスーツ着用ルールを無視

当時、アビー・ロード・スタジオに出入する人間は、スタジオ職員でもミュージシャンでも全員にスーツ、ネクタイ、白のワイシャツの着用を義務付けていました。

しかも、エンジニア達は白衣の着ることになっていたそうで、ウインストン・チャーチルが視察で訪れた際に、「ここは病院のようだね」と言ったそうです。

デビュー後のビートルズもスーツ姿でレコーディングをしていました。それは当時の写真を見るとわかります。てっきりブライアン・エプスタインのイメージ作りの一環で、スタジオでもスーツを着るように言われているのだと思っていました。

しかし、やっぱり彼等はリヴァプールの不良グループであり、常識を覆すアーティストです。

いつしか派手な柄のシャツやセーターなどを着るようになりました。世界初のクール・ビズとウォーム・ビズとでも言うのでしょうか?

スタジオ内の服装を制限すること自体がよくわからないので、ルールを破ったビートルズを責める気持ちにはなりません。この件は許してあげましょう。

ビートルズの不良エピソード3:無茶なセッティングでスタジオの機材を破壊

シングル“Revolution”のレコーディングでは、ジョンが汚いギター・サウンドを欲しがったそうです。

そのためギターのプラグを機材に直接差し込んで、独特のディストーション・サウンドを作り出しました。

こうした手法は機材の保護のためタブーとされていましたが、派手にオーバー・ブーストした結果、プリアンプを1台ダメにしてしまったとか。

いくら必要な音を作るためとはいえ、スタジオ機材を壊してしまったのですからスタジオ・スタッフ泣かせです。

ジョンはしっかり弁償したんでしょうか?

ビートルズの不良エピソード4:ジョンレノンのキリスト発言

キリスト発言の概要

1966年3月、ロンドン・イブニング・スタンダード誌に「俺達の方がキリストより有名さ。ロックンロールとキリスト教のどちらが先になくなるかな?」を含むジョンのインタビュー記事が掲載されました。イギリス国内ではイングランド国教教徒が多かったことや、信仰心が低下していたため大きな問題にはなりませんでしたが、同年7月末にアメリカのデイト・ブック誌に掲載されると、アメリカ国内で大問題となりました。

翌月には4回目となるアメリカ・ツアーを控えていたビートルズに、それまで経験したことのない逆風が吹きました。

キリスト発言の影響

・雑誌に記事が掲載された当日に、アラバマ州でビートルズのレコードや写真が大量に「火あぶり」にされる。

・アメリカ国内で30のラジオ局がビートルズの曲を流さないと宣言。

・ブライアン・エプスタインは、ビートルズの安全を考えてアメリカ・ツアーのキャンセルを検討、また自身が病気療養中であったにも関わらず、単身で渡米して事後処理にあたる。

・多数の脅迫電話があったため、ツアー中の生命保険の掛け金が倍額になる。

・イギリスのファンが、ビートルズの渡米中止を求める嘆願を行う。

・ビートルズ排斥の動きはアメリカ国内だけにととまらず、南アフリカ、フィリピン、スペインにも飛び火。

・ほとんどの会場でチケットの売れ残りが出た。

・クリーブランド市長が警備員の派遣に非協力的だったため、ビートルズ側が民間警備員を調達。

・メンフィス・コロシアムでの公演中に、ステージに爆竹が投げ込まれる。

・ビートルズにとって最後のコンサート・ツアーとなった。

・ジョンの発言は、マーク・デービット・チャップマンの凶行に繋がったとも言われている。

キリスト発言の原因

渡米してすぐに記者会見を開催、ジョンが発言を謝罪して撤回したため、事態は沈静化に向かいました。

こうした不用意な発言は、ジョンが子供の頃からキリストをからかうような言動があったと言われ、彼にとっては軽いジョークのつもりだったのかもしれません。

その一方、謝罪会見でジョンは

「イギリスでのキリスト教衰退の事実を指摘しただけ」

と語っており、当初はジョンの発言に対して不快の意を表明していたヴァチカンの公的機関紙も「キリスト教の影響力が弱まっているという彼の意見も真実と言える」とある程度の理解を示しました。

また、インタビューアのモーリーン・クリーブとジョンの間に親密な関係があったことも、不用意な発言を招くきっかけになってしまったようです。

キリスト発言のその後

アメリカ・ツアーが終わる頃には、ビートルズ排斥運動は一部を除いて収まりました。自分やメンバーの命を危険に晒してしまったこの時ばかりは、ジョンも反省したことでしょう。

しかし、3年後にリリースした“The Ballad of John and Yoko”は、歌詞の中の”Christ!“や”They’re going to crucify me(奴らは俺を磔にするつもりだ)“が問題視され、アメリカの大半のラジオ局で放送禁止となりました。やれやれ…

今でも有名人の発言で炎上騒ぎになることがありますが、さすがに神様を冒涜するような発言はなかなかありません。

ましてや世界一有名なアーティストの発言なので影響力も大きく、世界中で大炎上となってしまいました。口が滑っただけなのか、リップ・サービス(?)なのかわかりませんが、ジョンのキリスト発言はビートルズの悪行の中では最悪でしょう。

ビートルズの不良エピソード5:アルバムジャケットのブッチャーカバー

ビートルズはキャリアを積み重ねながら、自分達の意見を様々な形で発信してきました。

その言動は時として反体制的であったり既成概念を覆す挑戦だったりと、何かと世間をザワつかせました。

そんなビートルズは、アルバム・ジャケットで世間をザワつかせ、レコード会社に多額の損害を及ぼす悪行をしていました。

このエピソードもビートルズが下品と言われる理由の一つ。

ブッチャーカバーとは?

1966年6月、アメリカのキャピトル・レコードからアルバム“Yesterday and Today”がリリースされました。

1967年にリリースされた“Sgt.~”でアルバム仕様が統一されるまでは、イギリスでリリースされたオリジナル版のアルバムやシングルを各国で独自に再編集し、独自のジャケット・デザインで販売していました。

“Yesterday and Today”もアメリカ版として独自の曲順でしたが、問題となったのはそのジャケット・デザインでした。

ビートルズのメンバーが肉屋のスモックを着て、生肉にまみれ、血だらけでバラバラにされた赤ん坊の人形を持って笑っているというデザイン。

“ブッチャー・カバー”と呼ばれるそのジャケットは、グロテスクで悪趣味であることを理由に拒絶されました。

ブッチャーカバーができた理由

この斬新なデザインは、メンバーの性格を良く知るカメラマンのロバート・ウイテカーの発案で、ジョンはこのデザインについて「自分達のイメージを壊すためだった」と後のインタビューで語っています。

ポールもこれに賛同、ジョージだけは「不気味で馬鹿げたアイデアだったが、メンバーの一員として仕方なく衣装を着た」と語っています。”The Quiet Beatle”と名付けられただけあって、撮影当時は不満を抱きながら黙々と仕事をしたようです。

ちなみにマネージャーのブライアン・エプスタインもこの写真には反対でしたが、ジョンとポールに押し切られたようです。

こうしてメンバーがブッチャー(食肉処理業者)に扮して撮影された写真は、イギリスで5月にリリースしたシングル“Paperback Writer”のプロモーションで使用されていました。

そこで問題がなかったので、アメリカ版のアルバム・ジャケットに使うことにも特に異論が出なかったのでしょう。

ブッチャーカバーはキャピトルレコードが回収

初回プレスは75万枚(諸説あり)、発売予定日の6月15日に先がけて6万枚が小売店や業界関係者に送られましたが、当然のごとく店頭には並べられず、全国のレコード店から多数の苦情の電話がキャピトルに寄せられました。

発売予定日の前日にキャピトルは慌てて小売店からの回収を開始、次の対応を検討しなければなりませんでした。

ジャケット変更の交渉でビートルズを怒らせてしまうのか?大量の不良在庫を抱えるのか?アメリカの大手レコード会社は苦渋の選択を迫られました。

しかし、キャピトルと契約の再交渉中だったブライアンがメンバーを説得し、ジャケット写真は差し替えられることになりました。

新しくジャケットに利用されたのはメンバーがトランクを囲んだ写真(トランク・カバー)で、ジョンは後のインタビューで「酷い姿をした我々の写真をジャケットにされた」と当時の対応に不満を述べています。

ジャケットの差し替えで対応も赤字

一部のレコード店では発売日を待たずに販売してしまっていたものの、キャピトルの回収作業は進み、昼夜を問わずにジャケットの入れ替え作業が行われました。

元のブッチャー・カバーのジャケットは廃棄処分されていましたが、コストと時間を抑えるため、既存のジャケットにトランク・カバーを貼り付けるという方法で作業を進めました。

こうした必死の努力により当初の発売予定日から僅か5日の遅れで発売され、ジャケット差し替え騒ぎも影響したのかアルバム・チャートでNo.1を獲得しました。しかし、回収と差し替え作業に費用がかかり、キャピトルにとってはビートルズのアルバムで初の赤字となったそうです。

ブッチャーカバーはキャピトルに対する復讐か?

当時のレコード業界はアメリカが強く、ビートルズも自分達の意向に添わなくてもアメリカで編集されたレコードを黙認するしかありませんでした。

今回の騒ぎとなった“Yesterday and Today”は、アメリカでシングル・カットされて大ヒットした“Yesterday”をメインに企画されたことがタイトルからも見え見えでした。

収録曲はオリジナル・アルバムの“Help!”から2曲、“Rubber Soul”から4曲、そしてレコーディングしたばかりで、まだイギリスでも発売されていない“Revolver”に収録予定の曲から3曲、それに加えてシングルの“We Can Work It Out”と“Day Tripper”となっていました。

この時期のビートルズの音楽的成長は凄まじいスピードで、特に“Rubber Soul”はアルバムのトータル性を重視していたこともあり、このアルバムのめちゃくちゃな選曲はビートルズ側も看過できなかったと考えられます。

こうした不満がブッチャー・カバーという悪行に至ったのかわかりませんが、もしキャピトルをこらしめようと思っていたのであれば、作戦は大成功だったと言えます。

ブッチャーカバーはプレミアに

正規版として発売されたトランク・カバーの“Yesterday and Today”の内、キャピトルの内部資料から70万枚近くが「貼付け版」と推定されます。ジャケットが糊付けされていることはニュースでも報道されたので、購入者の多くは湯気を当ててトランク・カバーを剥し、自分の買ったレコードが貼付け版か否かで一喜一憂したそうです。貼付け版は図らずも限定版のような扱いになり、コレクターやマニアの間では高値で取引されるようになりました。

ジョンは当時の記者会見で

「ベトナム戦争のように残虐なものが容認されるのなら、このカバーも一般に受け入れられる」

と、ブッチャー・カバーに込めた思いを語っています。

全米を騒がせたグロテスクなジャケットが、ジョンのコメント通りに反戦のメッセージだったとしたら、悪行ではありませんし、嫌われるべきものではありませんね。デザインが気持ち悪いことは変わりませんけど。

ビートルズの不良エピソード6:大胆なパクり

ビートルズは213曲発表していますが全曲が彼等のオリジナルではなく、初期の頃はカバー曲も少なくありません。そうしたカバー曲はビートルズ風に味付けしており、オリジナルを上回る仕上がりになっている曲もあります。

しかし、カバーではない曲に「あの曲と似てないか?」と思われるフレーズや歌詞があります。

いわゆる「パクリ」、盗作です。当時はおおらかだったのか、訴訟まで発展するケースはほとんどなかったようですが、数々の伝説を残し、後の音楽シーンに多大な影響を及ぼしたビートルズが、よりにもよって人様の曲をパクる悪行に手を染めていたとは…

ここではビートルズが行った、現在だったら絶対に許されない大胆過ぎるパクリ曲をいくつかご紹介します。

I Feel Fine

1964年にシングルとしてリリースしたこの曲はジョンの作品、こちらはボビー・パーカーの“Watch Your Step”が元ネタです。「ギター・リフに影響を受けた」って次元ではなくてパクりです。しかもギターだけでなくドラムも似ています。「バレるからもう少し変えよう」と誰も言わなかったんでしょうか?

元ネタの曲は全米チャートで51位止まりだったということは、ビートルズの“I Feel Fine”の方が明らかに有名。オリジナルのボビー・パーカーの方がパクったと思われてしまったんじゃないかと心配になります。

Drive My Car

アルバム“Rubber Soul”のオープニング・ナンバーのこの曲はポールとジョンが書きました。元ネタはオーティス・レディングの“Respect”です。バッキングのベースが似ていて、ポールのボーカルもソウルフルですが、はっきりパクりと断定できないギリギリのラインを攻めたようにも思えます。

If I Needed Someone

こちらもアルバム“Rubber Soul”に収録されているジョージの名曲、元ネタはザ・バーズが1965年に発表した“The Bells of Rhymney”のパクり。どちらも12弦ギターを使ったサウンドで、メロディこそは違いますが、丸ごとパクッてしまったような印象があります。

元々バーズのメンバーとビートルズは交流があったので、作者のロジャー・マッギンに事前通告をしていたのだとか。逆にバーズもビートルズの影響を受けたり、歌詞を引用したりしていたのでお互い様ですね。

Birthday

アルバム“The Beatles”に収録されたこの曲はポールがメインで書きました。元ネタはメジャー・デビュー前のビートルズとリヴァプールで競い合っていたジ・アンダーテイカーズの“Just A Little Bit”という曲で、ギター・リフをちょいと拝借しています。

後にジョンは「クズみたいな曲」と言っていますが、もちろんビートルズの“Birthday”を指しています。

Come Together

アルバム“Abbey Road”の1曲目を飾るこの曲はジョンが書きましたが、1957年にチャック・ベリーが発表した“You Can’t Catch Me”という曲のメロディだけでなく、歌詞も少しパクッてしまっています。これだけ清々しく盗作したら逆に笑って許してくれそうですが、世の中そんなに甘くはありません。しっかりと訴えられてしまい、ジョンは原告側の要求に応じて1975年に発表したソロ・アルバム“Rock ‘n’ Roll”の中で、チャック・ベリーの“You Can’t Catch Me”と“Sweet Little Sixteen”をカバーするなどして問題の解決を図りました。

All You Need Is Love

この曲のイントロで使われたフランス国歌“La Marseillaise”はもはやパクりや盗作の域を超え、言葉が見つかりません。

フランス国民の中には「けしからん」と思った人も少なくないと思いますが、今でも普通にこの曲が扱われているということは、ある程度好意的に受け止められたのでしょう。フランスは寛大ですね。国家間の問題にならなくて良かったです。

せめて“God Save the Queen”を使えば良かったのに。 

ビートルズの不良エピソードと悪行まとめ

ビートルズの「裏の顔」をわかっていただけたでしょうか?

いくらスターでも他人が嫌がったり困ることをしてはいけませんね。

こうした悪行を償うために、名曲を作り続けてほしかったのですが、今となってはそれも叶わず…

どのエピソードも50年以上も前のことなので時効成立ですね。

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