ビートルズのレコーディング秘話!逆再生の曲や歌詞、使用機材まで全解説

ビートルズの8年の活動期間でレコーディング方法がどんどん進化していきました。

もちろんその間に機材の性能が向上したことも大きいですが、ビートルズやスタッフ達は機材の限界を様々なアイデアを持ち寄ってクリアし、アルバムを発売するごとに世界を驚かし続けました。

ここでは、ビートルズがレコーディングで使用した楽器や、逆再生やテープ・スピードの操作など名曲を生み出すためにレコーディングで行われた工夫や挑戦の様子をご紹介します。

目次

ビートルズがレコーディングに使用した機材

ジョンがレコーディングに使用したギター

リッケンバッカー 325

初期のビートルズのギターといえばリッケンバッカーで、ジョンは1960年のハンブルグ公演で325を購入しました。

このギターはフルスケールの最終フレットまで押さえやすいセット・ネック方式で、ビブラート・アームも付いていました。

デビュー・アルバム“Please Please Me”から1964年1月まではショート・スケールで黒のリッケンバッカーを使用、同年にリッケンバッカー社から同じタイプのギターをプレゼントされていますが、こちらのコントロール・ノブの色は黒です。

エピフォン E230TD

通称“カジノ”と呼ばれるこのギターは中型のセミ・アコです。

ボディ・カラーがサンバーストのタイプは、1965年にリリースしたシングル“Day Tripper”や同時期の“Rubber Soul”のレコーディングから使用していました。

もう一方のナチュラルのカジノは、アルバム“The Beatles”のレコーディングから使用、彼等にとって最後のライブ・パフォーマンスとなったルーフ・トップ・コンサートでも使っています。

ギブソン J160E

通称“ジャンボ”と呼ばれた大型のアコースティック・ギターで、低音域がよく響き、高音の切れもよいジョンお気に入りのギターです。

サウンド・ホールの傍らに小型ピック・アップが取り付けられており、デビュー・アルバムの“Please Please Me”から“Abbey Road”のレコーディングまで使用しました。

このギターは1962年9月頃、リヴァプールの「ラッシュワース」楽器店を通じてアメリカから取り寄せて購入しました。

ポールマッカートニーがレコーディングに使用したベース

カールヘフナー 500/1

バイオリンに似た形状をした旧西ドイツのメーカーによるベースで、ポールのトレード・マークになっていました。

ホロー・ボディで色はサンバースト、合計3本を所有していました。

初代は、1961年のハンブルグ公演の際にワン・ピック・アップのタイプを買い求め、ピック・アップを1つ増設して使用したと言われています。

このベースは軽いことが魅力でしたが、ネックが長いためバランスがとり難いという欠点がありました。

リッケンバッカー 4001

1965年のアメリカ・ツアーの際にリッケンバッカー社からプレゼントされた特注品で、ボディは赤でソリッド・タイプ。

重く硬い音が特徴で“Rubber Soul”から“The Beatles”のレコーディングまで使用、“Hello, Goodbye”のプロモーション・ビデオではこのベースにペイントを施しています。

CFマーティンD28

本来右利き用のギターでしたが左利き用に弦を張り替え、1966年から使用しました。

大型のボディを活かしてボリュームのある音が出せるこのギターで、”Blackbird”や“Mother Nature’s Son”などの名曲を生み出しました。

ジョージハリスンがレコーディングに使用したギター

グレッチ 6122

カール・パーキンスやチェット・アスキンスなどのCW系のミュージシャンが使用していたことからジョージも数本のグレッチを保有していました。

中でもグレッチ6122通称“カントリー・ジェントルマン”は、大型のホロー・ボディでダブル・カッタウェイがなされていて、ブライトなトーンが特徴。初期のジョージのトレード・マークになったほど愛用されました。

リッケンバッカー 360-12

1965年にリッケンバッカー社からプレゼントされたこのギターは、330-12のボディに360-12のネックを取り付けた特注品です。

リッケンバッカーの12弦ギターの特徴は、ヘッドの大きさが通常のギターと変わらず、ペグを縦・横に取り付けたことで弦の判別がしやすくなっています。

ジョージはこのギターを“A Hard Day’s Night”のレコーディングや映画内で使用、それを見たバーズのロジャー・マッギンもリッケンバッカーの12弦ギターを購入したそうです。

フェンダー・ストラトキャスター

1964年まではホロー・ボディのギターを使用していましたが、アルバム”Help!“からはソリッド・ギターを使い始めます。

1本目はソニック・ブルーのストラトキャスターで“Sgt.~”のレコーディングまで使用、2本目はテレビ映画“Magical Mystery Tour”内で使用されたサイケ模様のモデル。

ストラトキャスターはシャープな音が特徴で、3ピック・アップなので音のバリエーションも豊富です。

リンゴスターがレコーディングに使用したギター

プレミア

1960年の夏ごろに購入したドラムで、バスドラム、フロアタム、タムタム、スネア、シンバルという構成、胴が薄いのが特徴です。バスドラムの中央に“リンゴ・スター”と名前が書かれていました。

メジャー・デビュー前から3枚目のシングル”From Me To You”のレコーディングまで使用されましたが、その時にはバスドラムの皮を破ったそうです。

ラディック981-1 P

ドイツのティンパニー・メーカーの通称“ブルー・ノート”と言われるジャズ・セットを1963年から使用しました。

構成はプレミアと同じで、バスドラムには“THE BEATLES”のロゴが書かれました。2台目のブルー・ノートは1965年にラディック社から贈呈され、口径は従来より4インチ拡大した22インチ。

“Sgt.~”のレコーディングまではワン・タムでしたが、“The Beatles”のレコーディングからはツイン・タムを使用するようになりました。

ジョン、ポール、ジョージがレコーディングに使用したアンプ

ヴォックス AC-30

デビュー前から一貫して使用していたイギリスの代表的なギター・アンプで、彼等のサウンドを生み出したと言ってもいいでしょう。

12インチのスピーカーを2本マウントし、コントロールはトレブル、ミドル、バス、プレゼンスがセットされています。

真空管を使用していて、ブースト・システムによりオーバー・ドライブ・サウンドも得られます。

フェンダー・ツイン・リバーブ

“Sgt.~”を発表する頃からこのアンプを使い始めました。ヴォックスAC-30と同様にビルト・イン・タイプで出力は187W、コントロールには通常のトーンの他にビブラートやリバーブ、ブライト・スイッチ等も装備されていました。

小型ながらパワーが大きく、オールマイティなサウンドだったためレコーディングで重宝されました。

フェンダー・ベースマン

ポールが愛用していたセパレート・タイプのベース用アンプですが、ベース用の回路だけでなくギター用の回路も組み込まれています。

トーンの他に高音を減衰させるディプ・スイッチを装備、ジェンセンのベース用12インチ・スピーカーを2本マウントしています。

ビートルズのレコーディングの進化

代名詞となったハーモニカ

初期のビートルズのサウンドで印象的なのはジョンが演奏するハーモニカで、彼等の代名詞とも言えるでしょう。

“Love Me Do”や“Please Please Me”で奏でられたキャッチーでシンプルなメロディは、1回聞いたら頭から離れなくなるほどのインパクトがあり、チャートの順位を押し上げる力がありました。

デビューから4枚のシングルA・B面8曲の内でハーモニカが使われたのは5曲、当時のビートルズが自分達のサウンドの中でハーモニカをいかに大事にしていたかわかります。

ジョンがハーモニカを使い出したのは、デビュー直前の1962年初頭と言われており、無名時代から演奏されていたものではありませんでした。デッカのオーディションに不合格となり、自分達のサウンドに変化を付けるために値段も手頃で持ち運びも簡単なハーモニカに目を向けたという説があります。

しかし、ジョンがハーモニカに慣れ親しんでいたとはいえ、その特性を理解して楽曲に生かすことは簡単ではありませんでした。そこで力を貸したのがジョージ・マーティンで、彼の適格なアドバイスと巧みなアレンジにより、数々の名曲のイントロを華やかに彩ることができたのです。

ハーモニカを使ったヒット曲が立て続けに生まれたおかげで、当時はハーモニカ・ブームが起きたとも言われています。

何かと役立つハンド・クラップ

主に初期の曲で多用されたハンド・クラップは、ついつい聞いている側も手拍子をしたくなります。

デビュー当時はレコーディングに十分な予算を掛けることができなかったとはいえ、原始的な方法であるハンド・クラップを大胆に加えるとは恐れ入ります。原始的な方法であるが故、曲のノリが良くなり楽しい雰囲気にする効果は絶大でした。

ビートルズは30曲でハンド・クラップを使っており、それはカバーを含むロック・ナンバーが多い初期に集中しています。

カバー曲であればハンド・クラップのないオリジナル曲と聞き比べることで、曲の勢いが全く違うことが実感できます。

一説には、ビートルズの初期の演奏力には不安があり、アラを隠すためにハンド・クラップを使ったという話もありますが、その効果は期待以上のものになりました。

効果絶大!ダブル・トラック

ボーカルのダブル・トラックは、1度録音したボーカルにユニゾンでもう一度同じようにボーカルを録音する方法で、歌声がふっくらし、音の通りが良くなる効果があります。

ジョンが敬愛していたバディ・ホリーも使っていたので、ビートルズが最初に開発した手法ではありませんが、ダブル・トラックの効果を世に広げたのは彼等であり、世界中のミュージシャンやプロデューサー達に大きな影響を与えたことは間違いないでしょう。

同じパートを2回歌うことになるのでレコーディングには時間がかかりましたが、自分の声を嫌っていたジョンが最もダブル・トラックを好んでいたと言われています。

4トラックのメリットとデメリット

3枚目のアルバム“A Hard Day’s Night”からは、4トラックでレコーディングされています。2階吹き抜けでこれまでより広い第2スタジオでレコーディングしたことから、音の抜けが良く、音もクリアになりました。また、ミキシング・コンソールも高性能の機種に変わりました。これにより各チャンネルの音が混じってしまうクロス・トークが減少され、前2作のアルバムに比べると音質が格段に向上しています。

しかし、思わぬ弊害も生まれました。

2トラックで一発録りのレコーディングだった頃は、メンバーが自分の担当楽器やボーカルに専念する必要がありましたが、4トラックになるとドラム、ベース、リズム・ギターによるリズム・トラックとボーカル、リード・ギターを別録りすることが可能になりました。こうなるとリズム・テイクでベースを弾いたポールが、その後にリード・ギターも弾くことが出来てしまうのです。

ポールにしてみたら、ジョージのミスによって無駄にテイクを重ねるよりは自分が弾いた方がスムーズだと考えたのかもしれませんが、ポールのリード・ギターのパートを奪われたおかげでジョージはレコーディング中に失業することもあったそうです。

いろいろなパーカッション

初期のレコーディングではハンド・クラップに頼ることが多かったものの、徐々にカウベル、ボンゴ、アフリカン・ドラム、ティンパニーなどの打楽器が使われるようになりました。

6枚目のアルバム“Rubber Soul”からはタンバリンやマラカスが大胆に使われ、こうしたパーカッションが独特のグルーブ感を生み、サウンドを引き締め、時にはアクセントとして存在感を出してきます。

また、ジョージの“Love You To”や“ Within You Without You”などでは、インドの打楽器で3オクターブの音域を持つタブラが使用され、独特の世界観を作り上げています。

その他にも“Penny Lane”の間奏で聞かれるファイヤーベルや“When I’m Sixty-Four”のチューブラーベル、“Maxwell’s Silver Hammer”の金床など、それぞれの曲の持ち味を生かしながら効果的に使われて、変わり種としてはタイプライターのキーを叩く音や空き箱を叩く音などもパーカッションとして使用されました。

サウンドを彩った様々な楽器

ギター、ベース、ドラム以外の楽器は、ピアノやオルガンが初期のレコーディングでも使われていました。

5枚目のアルバム“Help!”からは、ビートルズのメンバーや外部ミュージシャンによる演奏で様々な楽器が使われるようになりました。例えば“You’ve Got To Hide Your Love Away”のエンディングではフルートが美しい音色を奏で、“Yesterday”では弦楽4重奏が名曲に華を添えています。

“Rubber Soul”ではシタールや足踏みオルガンのハーモニウムが登場し、”Revolver“以降はインドの弦楽器タンブール、ハープシコード、弦楽器に属するクラヴァイオリン、テープ・カートリッジを交換することであらゆる音色が再現できるメロトロンなど、スタジオ内に持ち込める物であれば何でも使ったと思えるほど、楽器のバリエーションは豊富になります。

また“Got To Get You Into My Life”で大胆に導入されたブラス・サウンドは、後のブラス・ロックの発展に寄与したと言われています。

そして極めつけは“A Day In The Life”で40人規模のオーケストラの演奏を贅沢に使用したことです。お金と手間を惜しまないビートルズのレコーディングは、当時では最強のものになりました。

個別に行われたレコーディング

10作目のアルバムとなった“The Beatles”からは、メンバーが全員揃ってレコーディングする機会は減り、メンバーそれぞれが自分の曲を個別にレコーディングするようになりました。

ブライアン・エプスタインが亡くなったこともあって、レコーディングでポールが当然のようにリーダーシップを発揮するようになったのです。それが原因でジョンと衝突を繰り返し、ジョージはギター・プレイを批判され、リンゴに至っては一時的に脱退する騒ぎもあったと言われています。

この頃から解散に向けたカウントダウンが始まってしまったことは否めませんが、メンバーの個性が楽曲に生かされ、バリエ―ションが豊かになったことは事実です。

8トラックの導入

アルバム“The Beatles”のレコーディングの終盤からラスト・アルバムとなる”Abbey Road“までは8トラックでレコーディングされています。

この頃になるとビートルズの音作りはある程度成熟したのか、特殊なSEはほとんど使われなくなり、そのサウンドはよりクリアで洗練されたものになりました。

機材が進化して録音技術が向上したため、効率の良いレコーディング作業が可能になりました。

しかしその分だけ楽曲に対するこだわりが増したのか、曲によっては大量のテイクを重ねることもあり、メンバーがウンザリしていたという話も残されています。

シンセサイザーの使用

いち早くシンセサイザーに夢中になったのは、新しい物を好むジョンではなくジョージでした。

当時のシンセは和音が出せず、モノ・トーンでプレイすることしかできませんでしたが、その特殊な電子音は“Maxwell’s Silver Hammer”や“Here Comes The Sun”そして“ Because”などで聞くことができます。

ビートルズの実験的なレコーディング

4トラックの限界をクリア

ビートルズの名作と呼ばれるアルバムのほとんどは4トラックでレコーディングされていますが、ビートルズとジョージ・マーティン、そしてスタジオ・スタッフ達は当時の人々の想像を超える方法でレコーディングに挑みました。

特に画期的だったのは“Sgt.~”で行われた4トラック・レコーダーを2台同期させる方法で、ビートルズのサウンドをより豊かでクリアなものにしています。おかげで実現不可能だと思われていた音を作り出すことが可能になりました。

世紀の発明

録音された自分の声を嫌うジョンは、スタッフ達にとって悩みの種でした。

初期の頃は、リード・ボーカルのジョンの歌声にポールやジョージにコーラスを付けてもらう手法やダブル・トラッキングによるレコーディングなどが行われました。

それが“Revolver”のレコーディングになると、テクニカル・エンジニアのケン・タウンゼントが開発したADTで、ジョンの声を簡単に変えられるようになりました。

しかし、こうした世紀の発明があったにも関わらず、ジョンの声を加工する実験はその後も続きました。

無茶な要望

レズリーの回転スピーカーを使った録音に成功したジョンは、奇抜なアイデアを思い付きます。

それは、スタジオの天井にマイクをセットし、ジョンは天井から垂らしたロープにしがみ付いて、そのロープをスタッフが引っ張ってジョン自身がマイクの周りを回るというものでした。実行されたかは不明ですが、こうしたアイデアを思い付くジョンはピュアです。

 “Sgt.~”のレコーディングでポールがベースをレコーディング機材に直接繋ぐ“ライン録り”によってタイトなサウンド作りに成功したことを知ったジョンは、自身のボーカル録りにもこの手法を使いたいとジョージ・マーティンに相談しました。

しかし「病院で手術して、首にプラグの差込口を埋め込んだら可能だ」と言われて諦めたそうです。

テープ・スピードの操作

A Hard Day’s Night

この曲の間奏では、ジョージ・ハリソンのギターとジョージ・マーティンのピアノが演奏されていますが、それらはテープ・スピードを半分にして録音されました。

通常の再生スピードに戻すと凄いスピードで演奏されているように聴こえ、音程も1オクターブ上がります。更に音質もブライトに感じます。

In My Life

間奏にはバッハのようなピアノが欲しいとのジョンの要望に応じて、ジョージ・マーティンはエリザベス朝のオルガン風に演奏することを思い付きました。しかし、曲のテンポに合わせて弾くことは出来なかったので、テープ・スピードを半分にして録音しました。

出来上がった音はまるでチェンバロのように聴こえ、ジョンのイメージ通りになりました。

Strawberry Fields Forever

メロトロンやギターをメインとした静かなパートとストリングスやブラスが入った賑やかなパートはそれぞれキーもテンポも違うものでした。

それぞれパートのテープ・スピードを変えて繋ぎ合わせることに成功したと言われていますが、ピッチ・シフターのない時代に上手く繋げたことは奇跡か魔法とも言えます。

なお、この曲は全体的にテープ・スピードを上げて録音され、通常スピードに戻して再生するとキーが下がり、ジョンのボーカルや各楽器の音質が重く陰鬱な感じになっています。

Lucy in the Sky with Diamonds

ジョンのボーカルとコーラスは、テープ・スピードを落として録音し、通常スピードに戻すことで声が可愛らしくなりました。

ジョンの息子のジュリアンが描いた絵と“不思議の国のアリス”がこの曲のベースになっていますが、テープ操作によって曲の元のイメージに合った不思議な雰囲気を作り出すことに成功しました。

Magical Mystery Tour

“Roll up, roll up for the Magical Mystery Tour”のコーラスはテープ・スピードを落として録音されています。

この部分はトレモロを通したような音になっていますが、1拍ずつの間隔で音が揺れているようなので、フェーダーを操作したものと考えられます。

ビートルズが逆再生を使用した曲

テープ・スピードを速めたり遅くしたりすることはビートルズ以前にも試したミュージシャンがいたと思いますが、“Rain”や“Tomorrow Never Knows”などにように大々的に逆再生サウンドを楽曲に用いたのはビートルズが最初だったのではないでしょうか?

ここにはビートルズが意図的に逆再生を使用した主な曲を挙げてみました。

Rain

エンディングで聴こえるジョンの逆再生の声は、歌詞の”If the rain comes they run and hide their heads”を歌っただけで、レコード・プレーヤーのターンテーブルを理やり逆回しにすると、ぶっきらぼうに歌っているように聞こえるそうです。

歌い方はともかく、逆再生にしたことでかなりエキゾチックなメロディになっています。

I’m Only Sleeping

この曲のギター・フレーズは普通にギターを弾いて採譜し、それを逆から採譜し直して次はその楽譜通りにギターを弾くというややこしい方法。合計数秒間のフレーズのオーバー・ダビングには6時間を要したと言われています。

ジミ・ヘンドリックスが1967年に発表した“Are You Experienced?”の逆再生のギター・ソロも強烈ですが、“I’m Only Sleeping”のギターも負けていません。タイトルは「寝てるだけ」ですけど。

Strawberry Fields Forever

2コーラス目の“No one I think is in my tree”の後から1拍ずつハイハットの逆再生が聞こえ、途中から16分音符で刻んでいます。3コーラス目の“Let me take you down”の直前には音の余韻が長いクラッシュ・シンバルの逆再生音が鳴りますが、小さな音から始まってだんだん音が大きくなって次の歌の出だしに繋げる役目を果たしています。

Being For The Benefit Of Mr. Kite!

この曲の間奏とエンディングでは、テープ・ループの通常再生と逆再生をごちゃ混ぜにして、深くエコーを掛けています。

歌の部分はバスドラとベースが生々しい音なので、そのギャップから一層不思議に聞こえます。

Flying

ビートルズが演奏する唯一のインストゥルメンタル・ナンバーのこの曲は、エンディングの約40秒がメロトロンの逆再生。

高い音でトリル、低音はロングトーンを弾いているようで、途中でシンバルのような金属音もリバースされています。徐々にエコーが深まり、次の曲“Blue Jay Way”に上手く繋げています。

Blue Jay Way

サイケ感たっぷりのこの曲は、恐らく別録りしておいたこの曲の逆再生をフェード・イン、アウトして挟んでいます。

逆再生特有の不思議な効果だけでなく、しっかりとコーラスのように聴こえる箇所もあります。これが偶然ではなく、計算されたものであれば凄いです。

逆再生すると怖いビートルズの曲と歌詞

こちらはビートルズが意図したものか偶然なのかわかりませんが、世界中のファン達がビートルズの曲を逆再生で聴きまくって見つけ出した「ビートルズからの隠れたメッセージ」です。逆再生で聴くことができる方は、温かい心で聴いてください。

こちらの意図して作ったものなのか、意図していないのかが不明なため、ビートルズファンの興味を引き、また怖いとまで言われています。

Strawberry Fields Forever

“…tree, I mean it must be high or low” を逆再生すると“I hate so many of peers(たくさんの仲間が嫌い)”と聞こえます。通常再生した時の歌詞の内容と意味が似ていなくもないので面白いです。

Glass onion

“The walrus was Paul”を逆再生すると“Paul took the wrong road(ポールは道を誤った)”と聞こえます。この時期のジョンだったら、ポールに直接言っていたのではないかと思わせられる一節です。これは偶然とは思えませんが真相はどうなんでしょう?

I’m So Tired

“Call you but I know what you would do”の部分を逆再生することで”I wish I wish I was not a Beatle(俺はビートルじゃなかったら良かったのに)“と聞こえます。

また、エンディングでジョンが” Monsieur, monsieur, how about another one?“とボソボソと呟くところを逆再生すると”Paul is a dead man. Miss him. Miss him. Miss him(死者よ、俺を快楽に導いてくれ、ポールは死んだ、悲しい、悲しい)“と聞こえたようで、こちらはポール死亡説の根拠とされました。

Revolution 9

何度も繰り返される“Number Nine”を逆再生すると“Turn me on, dead man(死者よ、俺を快楽に導いてくれ)“と聞こえ、その他の部分でも逆再生することで”Get me out, get me out(俺を助けてくれ)”と聞こえるので、ポール死亡説の根拠とされました。

Get back

“Get back, Get back, Get back to where you once belonged”のフレーズの逆再生は、“I need some wheels. Help me! Help me! Help me!(自動車に乗りたい。助けて)”と聞こえなくもありません。

少し無理やりな感じがしますが、これも「ポールは交通事故で亡くなった」とされる死亡説の根拠とされたのでしょう。

ビートルズのテープ・ループ

ビートルズのテープ・マジックは再生機器の操作だけでは飽き足らず、テープ自体を物理的に加工する手法が取られるようになりました。

比較的多用されたのはテープを輪にして再生する“テープ・ループ”という手法で、そのサウンドは以下の曲で聞くことが出来ます。

Tomorrow Never Knows

この曲のジョンのボーカルはハモンドオルガン用のレスリースピーカーを通されて録音されました。

それには普通のギター・ソロでは釣り合わず、特別なサウンドが必要とされ、ポールがテープ・ループの使用を提案したと言われています。

ポールが自作したたくさんのテープ・ループの再生は、アビーロード・スタジオ内の8つのレコーディング・ルームにそれぞれ設置された8台のテープ・レコーダーを繋いで行われました。

テープ・ループはキャプスタインを回る際にコップや鉛筆を使って引っ張られながら再生ヘッドに接し、回転速度を微妙に変化させながら繰り返し音を流し続けました。

その音は2つのフェーダーが設置された第2スタジオに流され、ステレオのポジショニングをコントロールしながら音をかぶせ、音量を調節しました。

ジョージ・マーティンによると、ビートルズの曲の中で再現できない唯一の曲が“Tomorrow Never Knows”で、テープ・ループのハプニングがもたらしたサウンドを再び同じようにミックスすることは不可能だと語っています。

Being For The Benefit Of Mr. Kite!

ジョンはこの曲にスチーム・オルガンの音を使いたかったものの、演奏できるスチーム・オルガンは1台も残っていませんでした。

そこでジョージ・マーティンは古いスチーム・オルガンの音をテープに録り、そのテープを1フィートほどに切って空中に放り投げて、ランダムにまた繋ぎ合わせました。

出来上がったものは音楽とは言えないものでしたが、ジョンを満足させることができました。

こうした斬新な手法で生み出された音の数々は、ビートルズ・サウンドの真骨頂と言えるでしょう。

Revolution 9

元になったのは“Revolution”のフェード・アウトされた部分のリズム・トラックで、サウンド・ライブラリーから持ち込んだ音源をテープに録って20のテープ・ループを作り、リズム・トラックに重ねることから作業は始まりました。

偶然見つけたエンジニア用のテープから“Number Nine”と喋っている音声を見つけ出し、その他の様々なサウンドやノイズと同じようにテープ・ループを作り出しました。

大量に出来上がったループには数人がかりで鉛筆の印を付け、再生したと言われています。

最終的な編集は、ジョンの監修のもとでジョージ・マーティンが3時間掛けて仕上げたとか。

手作りのエフェクト処理

Yellow Submarine

この曲のサウンド・エフェクトの大半はスタジオ内のサウンド・ライブラリーから音源を見付けて使用しましたが、波の音、タンクの中で水がブクブクする音、鎖がガチャガチャする音は、メンバーやスタッフがバケツに水を入れて上下させたり、牛乳瓶に水を入れてストローで吹いたり、実際に鎖を持ち込んで録音しました。

後半、リンゴのボーカルを追いかけるようなジョンの掛声は、小型マイクをヴォックスのアンプに繋いで出されたそうです。

なお、ストローを使ったブクブクはリンゴが書いた“Octopus’s Garden”でも使用されました。

Being For The Benefit Of Mr. Kite!

この曲のバスドラは、表のヘッドを外して打音だけをオン・マイクで拾ったようです。

当時の4トラックではドラム・セットに細かくマイクをセッティングすることは珍しかったようですが、ビートルズは曲によってマイクの本数や位置を変えていたそうです。時にはバスドラの中にスーツを詰め込んでフェアチャイルド製のリミッター兼コンプを通して音を作りました。

Lovely Rita

この曲のエンディングで聴こえるピアノは、録音機材のキャプスタンに接着テープを貼りつけてゆがみを作って録音、それを普通のピアノ演奏にミキシングして、まるで水面下で演奏しているような効果を生み出しました。

こうした原始的な方法でも、「よし、やってみよう」の精神で試したんでしょうね。

Lady Madonna

この曲の間奏などで聴こえる「プァップァップァ~」というメンバーによるコーラスは、口の周りを手で覆って管楽器を真似たものです。この曲のレコーディングでは4人のサックス奏者を集めたそうですが、なぜ、コーラス部分をサックスで再現しなかったのでしょう?確かに手作り感があって面白い効果がありますが謎です。

職人が作ったエフェクト

現在のレコーディングでは電子機器を使用して簡単に再現できるエコー、フランジング、フェイジングなどの原理は、“Sgt.~”のレコーディングで行った様々なテープ操作が基本になっていて「職人的なものだった」とエンジニアのジェフリー・エメリックは語っています。

ビートルズがイメージするサウンドに近付けるために、独自の道具や手法がレコーディング中に次々と生み出されました。その時の様子を「まるで石器人みたいだった」と、ジョージ・マーティンは語っています。

ビートルズのレコーディングを支えたアーティスト

ジョージ・マーティン

1955年にEMI傘下のパーロフォンのマネージャーとなった彼は、1962年にビートルズと出会い、彼等の作品のほとんどをプロデュースするようになりました。

彼は子どもの頃からピアノを弾き、ギルドホール音楽学校で音楽理論とピアノ、オーボエの演奏をマスターしました。

こうした知識がビートルズに音楽的な進化を及ぼしたことはよく知られ、デビュー当時は音楽の先生、後期の危機的状況の時でもどうにかしてビートルズの曲に仕上げるという大役を果たしました。

勉強熱心な不良グループ

パーロフォンのオーディションにやって来た時のビートルズの印象は、傲慢で手を付けられない連中で、まともな曲が書ける気配がなかったそうです。しかし、彼等の魅力的なオーラやカリスマ性を感じ取ったジョージ・マーティンは「その日、彼等と過ごしてみて心が躍った」と後に語っています。

2枚目のシングルとなった“Please Please Me”は当初、ロイ・オービソン風のロッカ・バラードのようで、初めて聴かされた時は「救いようがなかった」と思ったそうです。

結果的にこの曲はジョージ・マーティンによって書き換えられましたが、その作業を見ていたジョンとポールは、アレンジの方法や作曲のテクニックを吸収しました。

作曲のコツを掴んだジョンとポールは、その後次々と新しい曲を持って来ては、彼を驚かせ続けたとジョージ・マーティンは語っています。

究極のプロデューサー

ビートルズが必要とするサウンドを、クラッシック畑のミュージシャンに演奏してもらう際の楽譜を書くことも彼の担当で、ジョンやポールが求めた”A Day in the Life“や”All You Need Is Love“などの難解な要望をスコアにする大仕事もやってのけました。

また、プレイヤーとしても一流で、“In My Life”や“Lovely Rita”などの華麗なピアノは彼の演奏です。

なお、ビートルズがパーロフォンのオーディスションを受けた際、ドラマーだったピート・ベストを他に替えるように条件を付けたとの説について、ジョージ・マーティンは否定しています。

ノーマン・スミス

ビートルズの初代エンジニアで、ジョンからは“ノーマル・スミス”、ポールからはベースの音量を巡って“2デジベル・スミス”のあだ名を付けられました。

1962年6月6日にビートルズがパーロフォンのオーディションを受けた際には、ジョージ・マーティンとその場に居合わせました。

オーディションでの演奏を聴いて「彼等のサウンドに感動した覚えはないね。酷いもんだった」と率直な感想を述べていますが、その時のビートルズとの会話は最高だったそうで、「彼等の熱意と存在感がパーロフォンとの契約に結び付いた」とノーマンは語っています。

ノーマンは機材の欠点をカバーしてアイデアを提供し続け、アルバム“Rubber Soul”のレコーディングではチャンネル間のクロス・トークを抑えるためにボーカルと演奏、コーラスを左右に振り分けるなど意欲的なサウンド作りをしています。

ジェフリー・エメリック

ノーマン・スミスの下でアシスタントをしていた彼は、アルバム“Revolver”のレコーディングからエンジニアを務めました。

彼が最初に手掛けたのは“Tomorrow Never Knows”で、ジョンからの難解な要望に対しても様々なエフェクト技術を用いて果敢に挑みました。

ビートルズが最も実験的なレコーディングをしていた時期なので、普通では考えられないような作業をこなしながら斬新なアイデアを次から次へと実現しました。ジェフの生涯で最もエキサイティングで充実したレコーディングを経験したのではないでしょうか。

そうした彼の努力は実を結びアルバム“Sgt.~”が大成功、1967年のグラミー賞でベスト・エンジニアに選ばれました。

アルバム“The Beatles”のレコーディングではメンバーの態度に我慢できずスタジオを去りますが、“Abbey Road”のレコーディングで復帰しました。

フィル・スペクター

ロネッツの“Be My Baby ”をプロデュースし、“ウォール・オブ・サウンド”と呼ばれる独特のレコーディング方法で有名なフィル・スペクターは、ビートルズと一緒に仕事をやりたがっていたと言われています。

1970年1月にたまたまロンドンにいた彼は、ジョンの誘いでプラスティック・オノ・バンドの“Instant Karma!”をプロデュースしていました。元々ビートルズと仕事をしたかった彼にジョンはオーディションのつもりでGet backセッションの再編集を依頼しました。

Get backセッションはメンバーにとって満足できる内容ではありませんでしたが、フィルが膨大なテープと格闘して、10日程度でアルバム“Let It Be”に仕上げました。

ジョンとジョージにとっては満足する内容になりましたが、ポールは「原曲を無視したオーバー・プロデュース」と憤慨し、勝手なことをされたジョージ・マーティンは「本当に腹が立った」と語っています。

ジョン、ジョージは解散後、自身のソロ・アルバムのプロデュースをフィルに依頼するなど、しばらくの間は良好な関係が続きました。

エリック・クラプトン

親友であるジョージからの再三の誘いに「ビートルズのレコーディングに参加することなど恐れ多い」と断り続けたエリックですが、遂に口説き落とされ1968年7月の“While My Guitar Gently Weeps”のレコーディングに参加しました。

エリックはそこで素晴らしい演奏をして、彼に触発されたビートルズの他のメンバーも「とびきりのプレイをしてくれた」と、ジョージは後に語っています。

エリックのプレイには非の打ちどころがなかったものの「ビートルズらしさが足りない」との理由で、ADTにより音を加工したと言われています。

ニッキー・ホプキンス

ロイヤル・アカデミー出身のニッキ―・ホプキンスは、この時代のキーボード・プレイヤーとして最高峰の一人です。

1967年にローリング・ストーンズがリリースしたアルバム“Between the Buttons”のレコーディングに参加し、以後のストーンズの名盤には欠かせない存在です。

1968年7月にジョンの“Revolution”のレコーディングに参加し、ギター・ソロと絡み合うようなエレクトリック・ピアノを披露しています。

ビリー・プレストン

ビートルズと最も長い付き合いがある外部ミュージシャンは意外にもビリー・プレストンです。

1962年にビートルズが行ったハンブルグ公演で、リトル・リチャードのツアー・メンバーとして共演、お金がないビートルズのメンバーにビリーが度々おごったとの逸話が残されています。

1969年のGet backセッションに参加し、“Let It Be”や“Don’t Let Me Down”など数曲で名演を聞かせてくれ、その次の“Abbey Road”のレコーディングにも参加しました。

なお、ビリーと特に親交が深かったジョージは、彼のアップル・レコード移籍に力を入れたと言われています。

ビートルズのレコーディングスタジオに訪れた人々

女性コーラスの正体

ビートルズのメンバーが付き合っていた(または妻)女性達は度々スタジオに招かれていました。それはただの見学ではなく、バック・コーラスとしてレコーディングにも参加しています。

一番早かったのは“Yellow Submarine”のコーラスに参加したパティ・ボイドで、アルバム“The Beatles”のレコーディングでは、パティの他にヨーコ・オノ、リンダ・イーストマン、モーリン・コックス達もコーラスで参加しました。

このレコーディングではヨーコの存在感が大きくなり、ジョンの曲作りに大きく影響を与え、リード・ボーカルを任されることもありました。

ミック・ジャガー

最もレコーディングを見学したのはミック・ジャガーとも言われています。やはりビートルズの動向が気になっていたのでしょう。

“A Day in the Life”のオーケストラの収録時も、キース・リチャードやブライアン・ジョーンズとともにゲストとして招かれました。

幸運なファン

ジョンの“Across the Universe”で急遽女性ボーカルが必要となり、ポールがスタジオの外にいた二人のファンを招いてコーラスに参加してもらいました。

ジョンは、自身のボーカルも女性コーラスも「ずっと音を外していた」と語っています。

ビートルズの逆再生やレコーディングまとめ

ビートルズが名曲を作り出すためには彼等の才能だけでなく、さまざまな人達の力が必要だったことがわかっていただけたでしょうか?

奇想天外なアイデアとそれを実現するための工夫や努力の数々は、今の世でも通用する尊い精神だと思います。

こうしたエピソードが彼等の名曲に深みを与えているのかもしれませんね。

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